自分が変わりたい時が変わる時

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Fラン学生でも大丈夫!間に合うよ

基本的にFラン学生は努力もしなけりゃ勉強もできないある意味日本社会の底辺に位置する人種です。何故かわかりませんが無駄にプライドだけ高く、下手すりゃ高卒をバカにしかねません。どっちが賢いかは微妙だなーと思います。
ところが、Fラン学生に限りませんが、何かのきっかけで人間は大きく変わることがあります。なまけ癖が抜けなかったり、依存性に高いものにはまっていたはずが急に変わります。もちろんポジティブな変化の時もあれば、ネガティブに変わることもあります。人は生まれた時から首尾一貫として同じ主張信条を続けていけるわけではないのです。

Fラン学生の場合は、努力をしなければいけない時期にしてこなかった人間が多く、よくいるのが「努力が格好悪い」と言う態度を示す学生です。自分は本当は能力をもっていて、勉強すればできるようになるのだが一生懸命に勉強するのはカッコ悪いからやらないと言います。
意外かもしれませんが、Fラン学生の言うこともまんざらハズレではなく、やればできる学生というのは一定数存在します。彼らは中学か高校の段階で勉強に対して興味を失い、そのままFラン大学にたどりついてしまった学生です。
大きく変わる可能性があるのは彼らのような人間で、キッカケがあると半年や一年でものすごく変わります。要はいままで目標をもてずに暮らしてきたのです。
書店に行くと「偏差値40代から~」とか「底辺高校出身の~」が日本や海外の一流大学に合格した話などが出版されています。

要は何かのキッカケ…だと思う

彼らは何かをきっかけに努力を始め、元々の能力が目覚めたということであり、本人の潜在能力的に普通の人より劣ってなかったということでしょう。
Fラン学生の場合は、勉強の仕方そのものを学んでこなかったのではないかと思います。講義で話を聞いて知識を深め、それを問題解決に使う、というプロセスを中学校から高校時代にまったく経験していないようにみえます。
おなじように勉強ができないFラン学生ですが、ここから二通りにわかれます。個別に教員のところに問題の解き方を聞きにくる学生と、そのまま何も考えずに期末試験を受けに来る学生に分かれるのです。
個別に教えると、Fラン学生でも結構理解します。元々の問題そのものが、一般の大学よりもかなり難易度を下げているので、本来であれば常識人であれば簡単に解けるのです。常識的な人間であれば、ですが。

しかしたまに(数年に一度)ですが感動することもあります。質問にきて「あ、こいつどうにもなんねーや。無理無理」と思った学生が数日後の試験で界王拳かスーパーサイヤ人か特殊な修行をしたのかわかりませんが突如として覚醒してまともな答案をだせることがあります。カンニングか?と疑いたくなりますが、彼らのドヤ顔からどうやらマジで勉強したようです。

やりゃできるじゃねーかよ。
奇跡は世界のどこか知らないところだけで起きているわけではありません。たまにはFラン大学でも起きます。夢でなければいいのだけど…と思いながら採点しました。

本当に珍しい事ですがちょっとした感動をFラン学生でも与えてくれることがあります。こういう時に教育者というのは充実感を感じるのでしょうね。
一番苦労していた学生は就職活動も第一志望に決まりました。
変わるのはいつでもできる。何歳からでも変われるし、間に合うと信じています。

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