Fラン大学生は物事を的確に把握できない学生が多くいます。
試験の時に全く勉強をせずに受けてきて、何も解けないまま座っている学生がちらほらいます。
終了時間案で座っていなければならない場合はともかく、終了したらいつでも答案を提出して退出してかまわないとしているのに神の啓示でもあると思っているのか事前に準備してきたカンニングペーパーを見る機会をうかがっているのかわかりませんが、筆記用具をもてあそびながら時間が過ぎるのを待っています。こういう時こそとっとと試験を切り上げてスマホのゲームに夢中になればいいと思うのですが、まったく不思議な光景です。
なにか得られることでもあると思っているのでしょうか。いままでの彼の人生のなかでは何かお得なことが起きているかもしれませんが、高校を卒業して大学、社会人になれば基本的には成果主義しか残りません。
Fラン大学ではまだ高校の時のような参加賞と言うか授業に出席してれば何とかなることがあるので、それを期待しての事なのでしょうが、彼らの底抜けに無気力な目から感情が読み取れません。
試験勉強をしてこなくては、問題は出来ない。→試験が0点なら不可→問題の意味すら分からないなら試験の教室にいても無駄
ということがどうも思考できないのではないかと思いました。
Fラン大学の中には本当に常識が通用しない人間が存在していて、日本語は話すものの本当に言いたいことが伝わっているのか疑問な学生もいます。
Fラン大学といっても大多数の学生は常識的でそれほどでたらめな人間ではなく、高校なども素行が悪すぎて退学になるような学生と言わないまでも真面目ではなく、すべてが中途半端にレベルが低いというのが特徴的です。
ロジカルシンキング(論理的思考)が必要だ!という情報が書籍やネットで一時あふれかえっていましたが、ロジカルシンキングを理解するにはそれ相応の知力が必要になってきます。
ロジカルにものを考えるという段階でFラン大学の学生はどうやって考えればいいのかがわからないのです。単純に原因→結果をまとめることさえ覚束なく、難しいことはすぐに考えることを放棄してしまいます。
何を問われているか理解できない?
今までほとんど真面目に勉強をしてこなかったFラン大学生の場合、原因と結果をまず考えてみることが重要です。
そんなこと当たり前じゃないのかといった意見もあると思いますが、Fラン大学の学生と接しているとまずここから考え方を身に着ける必要があると思います。
中学高校、ひどい場合は小学校から勉強をしてこなかったので、まともに思考することができないのです。
行間を読むという言葉がありますが、彼らは文面に書いてあるとおりかそれ以下にしか理解できません。
就職のエントリーシート用にアルバイトの経験で得たエピソードを書く課題を課したのですが、アルバイトをしてこんな経験をした。→これは自分にとってこういう経験になった。(自分の知識が増えたとか、接客の大変さが分かったなど)を具体的に例を元に説明をしました。
思考停止の学生は「2年間居酒屋でアルバイトをした。」という結果しか書きません。しかも、それでこの課題は十分満たしたというような態度で提出してきます。手を抜いているわけでもなく、課題の内容を理解できないため、アルバイトの経験を書けばよいという風に自分に都合よく脳内変換しているようです。
こういう学生にエントリーシートを書かせても文字が書いてあるだけで意味をなしません。
注意してもそもそも課題の意味を理解していないのだからなぜ注意されているのかわからない可能性が高いです。
日本人で日本語を話し、意思がつうじているように見えるが実のところ本当には理解していない…。ちょっとしたサスペンス映画のようなことが実際にFラン大学では頻繁に起きています。