Fラン学生へ 勉強ができなくてもよいということではない
三角関数なんて大人になったらつかわないよ、は全くその通りです。おそらく勾配の計算や、面積を計算する職種につかなければほぼ使用することはないでしょう。
Fラン学生は、その通りだ!と思っているかもしれません。だが、三角関数が計算できなくても社会に通用する。はイコールにはならないのです。
三角関数ができない ≒ Fラン学生が社会で活躍できる。
数学ができないからといって社会に通用しないわけではありません。数学ができないのではなく、勉強ができないのです。さらにモラルもかなり低い底辺学生たち。こんな単純な問題が分からないのがFラン学生のFランたる理由です。サインコサインを教えられて理解することなく何故か高校を卒業することができ、大学に来てバカにされるかバカにされていることそのものに気づかない。おろかなFラン学生達…
三角関数を学んでも将来使う機会は少ないので、三角関数を学ぶ必要が無いというのがおそらくこういう主張の主旨であって、授業を受けたことが理解できないこととはまったく違うことだということが理解できないのです。
Fランには、分数の計算ができない大学生が本当にいます。かれらに分数ができなくてもよいという免罪符を渡すべきではないでしょう。勉強しなくてもよいと勘違いしてしまうからです。
三角関数ができないくらいは有能
三角関数ができないだけならまだマシで、分数ができない、漢字が読めない、英語ができない…要は「勉強」ができないのです。勉強ができなくても社会で活躍できないわけではありません。真面目に働いている人の方が多いでしょう。
自分の能力に合わせて活躍できる場所で頑張ることは素晴らしいことだと思います。しかし、何を間違ったか、勉強ができないのに間違って大学にきてしまったのが不幸の始まりになってしまいます。
現実を視ずに回りの同級生と同レベルの視点で就職すればよいものを、大学にきてまわりから底辺学生として扱われてしまう。
オンリーワンとか、回りと比べるなとかの意見そのものは素晴らしいのですが、では、努力をする人間と努力をしない人間どちらも同じ報酬しかもらえない世の中に希望はあるのでしょうか。
Fラン学生には努力が必要であることを含んで欲しいのです。
数学や英語はたしかにFラン学生が生きていくには不必要に感じるかもしれませんし、職種によっては使うことがないかもしれません。ただし、同世代のほとんどの人間が理解できることが理解できないのは問題が多いということをFラン学生の短絡な知能でもわかるように伝えてもらいたいです。